他人に『年相応』と言うが、自分には使わない言葉なのか?

 1か月ほど前に町内会の敬老会を行った。

参加者は子供を含め50人程。

他界する人や、施設入所など、高齢化で参加者数は年々減っている。

 若い方の参加が少ないが、参加率からすると4割ほど。

 都会では、参加者人数で評価され、その参加率が1割に満たなくともあまり問題視されない。

(札幌のイベントで1万人集まっても、1%未満)

田舎では、参加率を重視する風潮にある。

 

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 これまで敬老会では数名単位で写真を撮ってきた。

離れている子や孫に見せるために写す写真であるが、これが遺影にもなっている。

 今回初めて、遺影用の写真だからと、笑い顔を要求した。

『遺影用の写真』と言うことはタブー的な状態であったが、

これまで、直接的・間接的に終活を語るようにしてきたことも有って、遺影の話が弾んで拒否反応は無かった。

 

(写真は拡大できます)

修正前              修正後

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 アップした写真は確かに老けて見えるのが一般的。

近眼の人が眼鏡を初めて使うと、シミ・シワがくっきり見えるのと同じこと。

 写真はさらに見た目より明暗をクッキリ出すから、年を取っているように写る。

わずかな汗がそれをさらに高める。

 だから、ほとんどの人は写真の修正を求める。

自分のシワを、そのままの写真を良しとするのは、男性のごくわずか。

 

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 他人が修正写真だけを見ては、修正したように感じない程度にするのだが、それでも本人は修正されていないと言うこともある。

 他人のシワは気にならないが、自分には年相応ということは無いようだ。

 

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 古民家で撮影

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 写真仲間と先日モデル撮影会を行った。

修正をしなくてもいい写真。

若い人の写真は良い。

子供の写真はもっと良い。 

  

 とある施設で

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