隣の住宅併設の事務所と職員住宅は、ともに古い建物で、建て替えるための解体工事。
営業所なので建物は小さいが、会社は上場企業。
仮事務所と住居を確保して、
9月完成を目指しての5か月工事。
4月28日解体工事は始まった。
石炭や薪ストーブ、煙突が必要な灯油ストーブの頃に流行った集合煙突は、今見ることはほとんどない。
ユニットバスは、古い家でも後付けでこれも流行っていた。
解体物を分別しながら作業は続く。
1960年頃にはこの建物があったと記憶している。
柾屋根(まさやね)の上に、最初に世に出てきた四角いトタン(名称は忘れた)が張られ、
さらにその上に、その後に出てきた長尺トタンが張られている。
1970年頃以降に新築した住宅の屋根は、
下張りとしても柾を使わなくなり、
トタンの下は紙布で覆われた。
けっこう詳しいでしょう・・・・私、柾屋の息子ですから。
終戦後の食糧難が続いて、家族で食べるものにも苦労していた頃、
柾屋根を葺(ふ)く(注)と、農家は農作物を対価としたので、母が営む旅館の食料は最低限充足されていたと言う。
(注)『柾屋根を葺く』とは、薄い板(柾)を写真のように重ね合わせて、小さな釘で張り付けていくこと。
暮には柾職人さんたちが大量の餅をついて、自家用・宿泊者用はもちろん、職人さんや近所に配り続けていたことは記憶にある。
その頃は、闇市などの取り締まりがあって、
食料を湯船(浴槽)などに隠しても入りきらず、
下宿をしていた警察署長の部屋に隠し入れ、
調査官は署長の部屋は開けることなく済んだとのこと。
そんな状況から、経済・生活が落ち着いてきた頃、
1961年(昭和36年)に国民皆(かい)年金制度や全国の市町村で国民健康保険事業が始まったなど、
1960年頃から住民の生活を守る国政が急激に進んだと私は思っている。
国政とは・・・
語り過ぎと言われそうなので、この程度として、
うるさいほどさえずるも、姿を見せないオオヨシキリ。