今回の文は、書いては消しで5日間。
己が決めた週1の期限が来たので、失礼ながら投稿。
ついでに、前回に続いて恥ずかしい夕陽の写真でご勘弁を。
子供の頃から、手前左にご飯、右に味噌汁、・・・と教わっていた。
だから、ご飯の上に味噌汁を置いた写真を見て、見やすく配置する心遣いに感心していた。
ところが関西では味噌汁を左上に置くことが当たり前の事をテレビで知った。
その番組では、右か左上か論議していたが、それぞれ地域のマナー(基準)だから、是非を問う必要はないと聞き流した。
別の日、テレビを見ていたら、
ある地域の学校で、冬休みが短縮されたことについて、
論議されていた。
冬休みの必要性を語り、休みの短縮に反対する意見。
ゆとりある授業時間を確保するために、冬休みを短縮することを賛成する意見。
冬休み期間は、地域や学校に自由裁量があるものの、学習指導要領が基本にあるから、冬休みも必然的に一律になる。
北海道・岩手は26日、青森24日、秋田21日、沖縄13日、他の全ては17日を基準としている。
この基準日を前提に、休みが減ることの是非を長々と論ずる意義はあるのだろうか。
冬休みが減って可哀そう、程度で納めても良いのではないかと思った。
基準日そのものが妥当か否かを論ずるのであれば理解できるが・・・だが、おそらく答えは出ないだろう。
日常生活のあらゆるところに決めごと(基準・規定)がある。
罪を起こして○○年の懲役、後期高齢者は75歳、生活保護対象の基準、要介護認定の基準、天気予報の基準・・・・・。
そして、33年ぶりに発令した『低温注意報』の基準。
これらの決めごとは、関係者や当事者それぞれの意見を集約・妥協して線引きしたものであり、それが正しいと言いきるべきたぐいのものではないだろう。
基準値に疑問を感ずることは当然であろう。
基準・規定に苦慮することがある、時には泣いている人もいる。
それでも決めごとは絶対的ものとして、基準・規定で社会が動き、人が生活している。
山の上は雲だけなんですが、何か集落のように見えませんか?
ただの思い込み、雲は雲と妻にバカにされました。
このような事を語るには、私の表現力では無理であったと反省しているが、
基準・規定なる決めごとに対する思いが多く、もう一度試みようかなとも思う。