統計数値には根拠がある

 NHKテレビ『ひよっこ』の最近放映されている年代のころ。

 私が高校1年の1964年、東京オリンピックが開催された。

開催にあたって関係施設、交通網などが整備され発展したが、私が特に記憶に残っているのは2つ。

・国道が全て番号で表示されたことで、東海道(一部が異なっているそうだ)が国道1号線と表示されるようになったこと。

・日本を「にほん」ではなく「にっぽん」と読むことにしたこと。

「白地に赤く・・にほんの旗は・・・」「にほん人形」などが多かったが、「にっぽん国万歳」など、強さが表現される「にっぽん」になった。

 学者の意見も分かれていたため、すでにある「にほん」も否定できず、お札などの国が関わるものは「にっぽん」と表示し、両方の読み方を認め今に続いている。

 

身近な花たち   ライラックのツボミ

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 その年に(オリンピックの開催中だったと思うが)中国が原爆の実験をし、その直後「原水爆禁止運動」の組織が分裂し現在に至っている。

原水爆禁止署名運動全国協議会』(原水協)の主流派は「社会主義国原水爆を持つことは認める」という考えで、すべての原水爆を禁止とする考えの少数派が『原水禁』として分裂したのであった。

(短文のため誤解が起きるかもしれないので、ネットで確認願います)

 

小さな小さな花

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 1966年(50年前)にビートルズ来日した。

このことがこのブログの本題。

 伝統的格闘技の殿堂である『日本武道館』でロックコンサートを開くことは何事かと批判されながら、日本武道館で初のコンサートが開催された。

  飛行場には多くのフアンが集まった。

ビートルズの腰にピッタリのズボン(ジーンズ?)は男性のあそこの形が表れるほど。

 若い女性が「ビートルズのあの部分がどちらに向いているか」を賭けていたと週刊誌に載っていた。

 

 芽・ツボミ

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 皆さんにとって些細で馬鹿げたことだろうが、私にとっては記憶に残る長い間の疑問。

結論はビートルズ全員が左向きだった。

私も左向き。

それから他の人を観察しても、ほとんどの人は左向き。

 あれがなぜ左向きか・・・高校3年から続いた疑問。

数年後別の事を調べていた時、ふと気になり『睾丸』を調べたら答えが出た。

 人の体は、母体の中で順番に形成されていく。

左の睾丸が先に出て(降りてきて)、その後に右の睾丸が出てくるとのこと。

そして右よりも左の睾丸の方が大きいと。

友達に聞きまわると全員の答えは、左が大きく、左向きだと。

 

 つくし            フキノトウ

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 統計にはそれなりの根拠があるもの。

身近なことに、身近な人たちの考えに、なにか共通点があると感じた時、そこには意外と統計的に正しいもがある。

・・・私の勝手な思い込みか?

 

               エケベリア

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写真をクリックすると拡大できます。

                          

 

 

 

ささいなことから自分の世界に入る小学生だった。

  春の花とともに、子供の頃に考え込んだことを。

 

 前回のブログで述べたように、小学校の頃の私は先生の一言に思いを巡らせ、授業を聞いていなかったことがよくあった。

 

クロッカス

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・光は1秒間に地球を7回半回る・・・と先生は言った。

 

 その授業中に色々考えたが、地球を回る光は思い浮かばなかった。

夜に懐中電灯を照らしたが、振向いても光は戻ってこなかった。

教科書には、『回る程の速さ』と書いてあった。

先生は『程の』の一言を抜かして説明したばかりに・・・。

光は直進するから、当然に地球を回らない。だから『程の』は省略できると言う考えなのかと今でも思うのだ。

 

クロッカス

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・授業に入る前に、「殿様は鮃(ヒラメ)をひっくり返さず、白い皮のほうだけを食べていたから、白い魚と思っていた。そして、美味しい黒い皮の方の味を知らないで終わった。」

と小学校の先生は言った。

 子供のころから、黒い皮の方がおいしいことを知っていた。

 黒い皮の方を上(表面)に、頭を左にして盛り付けすることが基本であることも知っていた。

 先生が言ったことは事実か? 作り話か? なぜ授業中にこんなことを言ったのだろう?・・・と考えていたら授業は終わっていた。

 母に聞くと、「鰈(カレイ)の場合に限り、頭を左にすることを優先して白い皮を上にする盛り付けもある」とのこと。

 先生は鰈を鮃と間違ったのか? 思い付きの作り話か? いまだに疑問のまま、そして時々思い出す。

 

クロッカス          スイセン

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・先生がチョークで黒板に『点』を書いた。 点を続けて『線』をつくった。 線を並べて『面』をつくった。

 授業が終わって黒板の前で見ると、『点』は『面』だった。

数日の間、このことを考え続けて、

  1. 点も線も全て『面』だ。 もし『点』と表現するのであれば「1㎟の面を点とする」など単位表示が必要と思った。
  2. 面と面が接するところが、『線』あるいは『点』と考えた。 

 子供なりの結論が出るまでの間、ほとんどの授業は上の空であった。

 

 これでは成績が悪くなると思いながらも、4年生ごろまではこんなことを繰り返していた・・・今も時々。

 私の楽しい空想の世界であり、それは同時に、先生の教え方に対する不満でもあった。 

だが、私の先生たちは面倒見がよく、嫌いな印象はなかった。

 

日陰で咲いている福寿草(今回掲載の写真は5月24日撮影)

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 なぜ唐突にこんなブログを書くのかと思われるだろう。

 どうしてそんな発想になるの?・・・とよく言われる。

 それは最近愛読し始めた、宇理さん(Id : uriuribou)の教え方の素晴らしさを感じていたら、子供の頃の勉強を思い出したから。

 

 

 

高齢者向きの文書は難しい。

 Hatenaブログを開いたとき、

 画面右上に表示されるメールマークの所に出てくる『あなたへのお知らせ

 「私のコメントに○○さんが☆をつけました。」とあるのでそこを見ると、私のコメントさえ消えていることがしばしばある。

 許可されてから表示されるところであれば理解できるのだが、たまたま見たら自分のコメントがないとき、『公開する』を押さなかったのか?・・・認知症に?・・・なんてふと思うものだ。

 自信がなく、先ず自分を疑ってしまうこの頃。

 

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 互いに認知症の不安を感じている町内会での発言や回覧文書の作成は疲れる。

 文書を最後まで読む気が無く、表題や文章の途中で結論付けて誤解するようなことが、個人差はあるが、高齢になるとそんな傾向が強くなるようだ。

 「○○ではなく、△△です」の表現では、○○が記憶されるから、「△△です。○○ではなく、△△ですよ」のように表現しなければならない。

「 、 。 」を多く使い、色や囲みも使い、かつ短文で表示しなければならないことは、表現力の乏しい私にとっては苦痛である。

 

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 時候の挨拶から始めるものなら、大変なことになる。

天気が・花が・体が・嫁が・・・の思いが駆け巡り、本題を聞く耳を持たない。

特に女性はこの傾向が強いようだ・・・中年の頃から?

 ところが、小学校の頃の私自身がそうだった。

先生のチョットした発言を考え込んでいるうちに授業が終わることがしばしばあった。

 だから、本題を聞く耳を持てなくなる気持ちはわかる。

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 秋植え小麦の、わずかな緑を除いて、私の周りを地味な色の土が支配している。

風景を見るには一番悪い時期と思う。

 冬の鳥たちも去り、たまたま写せたコガラ(北海道にだけ住むハジブトガラではないと思う~私には判断ができない)

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今日も雪が降りました。

除雪関連の道具はもう手元にない。

車の窓に積もった雪を手で払うのはとても冷たい。

ここ数日、各種書類作成や文書の作成で疲れている。

更新しようと思いながら、ブログも前回から1週間がたった。

今回は先月撮影した写真を添付してしのごうか。

以前にもそんなブログを発信したような気がするが、

取りあえず皆様にご挨拶。

コハクチョウ

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マガン

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光線の関係で白くないですがコハクチョウです

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山奥の夕陽~地面は雪 3月20日撮影

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春を感じると、冬の小鳥たちは去っていた。

 先日A女史の紹介で、野鳥などで超有名な写真家、嶋田忠氏が運営するCAFEandGALLERYに行ってきた。

 千歳市市街地から支笏湖千歳市)に行く途中の、自然豊かな道道沿いにあり、小さなギャラリーと野鳥が間近に見られる軽食喫茶。

  窓越しに野鳥を見ながらコーヒーを飲むのだが、奥は写真撮影用の小部屋で窓ガラスが無く、覆われた模造葉っぱのすき間からレンズを出し撮影するようになっている。

ゴジュウカラ

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自然林まで10ートル以上離れているが、餌場は数メートルの近い距離で、レンズの選択に苦慮するところである。

 野鳥の数の割にはエサが少ないせいか、小さな小鳥たちは大きな鳥のわずかな合間に餌場に近づく。

エナガ

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 苦労なく写真は撮れたが、野鳥の自然な姿は撮れなかった。

皆さんは数時間粘るようだが、こんな写真の撮り方でいいのかと感じながら、寒さに弱く根性のない私は1時間強でその場を去った。

 コゲラ

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 日本を含め世界各国が不穏な状況にあることを知りつつ、趣味に高じている自分。

 野鳥たちは自由な外にあり、私はオリの中にある。

 動物園の動物から見ると、見物客がオリの中にいると思っているという持論を聞いたことがあるが・・・中と外の定義をふと思った。

 コガラ

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 話は変わって『堤防の内と外』を皆さんご存知であろうか。

堤防の中の草刈りをすると言われたとき、貴方は川の中や周りの草刈りをイメージするでしょうか。

 川の手前の土手と、川の向こう岸の土手(堤防)、この堤防にに挟まれた(川が流れている)所が土手の外(堤外)なのです。

 

 例年は4月中頃までいる白鳥・・・今は田んぼにはもう雪が無くなり、多くの白鳥たちは去っていた。

 冬の小鳥たちも姿を消し始めている。

春が来ている・・・? かな?

 アカゲラ

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 3月21日のブログで「春が近づいている」と言った2日後に大雪。

その後もわずかであるが3回ほど雪が降った。

だから「春です」とはなかなか言えない。

 「春ですがとても寒い」と言えるが、「春ですが雪が降っています」なんて言うと、「雪が降っていれば春ではないだろうと」言われそうだから。

 そんなこともあり、春や秋に南に住まいの人へ手紙を出すとき、時候の挨拶に悩むことがしばしばある。

 『風の盆歌』と言う高橋治の小説や石川さゆりの歌で表現されている、『酔芙蓉スイフヨウ』という花に魅力を感じて、北海道で露地栽培に挑戦したA女史は、3・4年目でようやく開花に成功した。

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 朝↑(1日限りの花-奥は昨日の花)昼↑     夕方↑

 

 私より3歳年上のA女史は、お嬢さん大学の芸術学部卒業であったが、名もなき陶芸家と結婚し貧困生活を続けていた。

 幼い子供が「○○ちゃんの家では・・・、△△ちゃんの家では・・・」と、自分の家庭の貧困さを訴えた時「そのお母さんたちは、手の上に小鳥をとめられるか」と言ってその場をしのいだそうだ。

 自然豊かなところに住んでいた彼女は、手のひらでヤマガラにエサを与えていたとのこと。 

f:id:isourounomitu:20170401004149j:plain ヤマガラ 

 陶芸家の旦那さんも名が売れて、彼を師事した陶芸家たちも活躍し始めたころ、私の近くの町に住まいするようになってからのお付き合いであった。

 それから数年して旦那さんは62歳の若さで他界したが、彼女は今も自然豊かなところで暮らし続けている。

 

 ヤーコンの花を教えてくれた。

 北海道ではヤーコンの花が咲く前に秋が来るので、当たり前に見られる花ではないそうであるが、その頃からの異常な夏の暑さで見られるようになったと、温暖化の影響を知った。

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 ヤーコン    ピーヒョロ~傷のような白い線は魚の汁

 

 トンビのひなを育てた。

 高い木の巣から落ちて(追い出されて?)いたヒナを、脚立で届く付近にザルでつくった巣に入れたが、親はエサを与えないのでそのヒナを「ピーヒョロ」と名付けてエサを与え続けた。

 親は見守るだけだったが、羽ばたくころには近づくこともあったそうだ。

 ピーヒョロは巣から飛び立ってもエサをねだった。

A女史は半分に切った魚を上に投げ、落ちた魚をピーヒョロは一瞬のうちに持ち去り木の上に戻る。

 そのエサやりを徐々に少なくして自然に戻すのだが、翌年ピーヒョロは子供を連れてやってきてエサをもらっていた。

これが3代続き、A女史は孫たちにとピーヒョロの絵本を作った。

私はこの絵本を思い出しては読むことがある。

 

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↑ マユを作る白髪太郎 ↑ネグラの透かし俵 ↑産卵~そして死

 『楠蚕クスサン』の一生を知る。

楠蚕は夏の一時期街路灯の下で舞う嫌われものの蛾。

その成長をカメラに収めることができた。

「白髪太郎」は戦時中マユを活用された。

そのマユでねぐらを作った「透かし俵」

クスサンは口が無いので、産卵後餓死する。

 

 雪虫はヤチダモの木で越冬する 

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ヤチダモの木↑ 黄色の枠「コケ」を拡大↑5ミリほどの雪虫

 

 これらのほとんどは過去のブログで掲載したものである。

 A女史は自然を愛するが、周りに与える影響に配慮している。

 だが、農業経験が無い自称芸術家達が、自然を守ろう・無農薬野菜だと野菜作りをして、そこから発生する害虫に周りが被害を受けている。

 そして彼らは失敗し、迷惑をかけたまま去っていく。

 古民家を壊さないでと、画廊を開く、軽食喫茶を開く・・・

雨漏りがすると去っていく。

 彼らは現実を知らず、思うままにチャレンジし去っていく。

芸術家モドキは迷惑をかけるが恨めない。

  売れていない芸術家は、芸術家モドキというのか。

音楽関係から、小説・写真・陶芸・書道など、それに打ち込む者が己を○○家と言う。

 作品がさほど売れなくとも陶芸家であり、趣味でつくった器がいくら売れようが素人。

 

シジュウカラ

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 作品作りに没頭し、職業を陶芸家・作家などと表現するのはその人の勝手であるが、多くの人は脱落していく。

 社会的にも評価され高収入を得ている芸術家の多くも、名も売れていない頃の生活は大変で、身内をはじめ多くの方々の援助があっての結果であろう。

 起業家にも似たところがあるのだが。

 

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 画家や陶芸家が自然を求めて田舎に住み着く。

人口減少で悩む行政や心ある住民はこれを歓迎し、その生活に援助する。

 そして借金や多くの人に迷惑をかけて去っていく。

 3人の芸術家の後始末をしてからは、そんな芸術家なる者とはかかわらないようにしている。

 

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 彼らの多くは、一般人の社会・経済生活観念の常識は通用しない。

一般人でも、自分の好きな事にはふんだんに金をかけて、借金をしまくり税金も滞納する者がいるが、これとは質が違うようだ。

 芸術家なるものは、その芸なるものに没頭しその世界に入り込むから、一般人が考える心配を感じていない。

 

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 札幌芸術の森に行ったとき、遠くから私を呼ぶ者がいた。

私が後始末をした陶芸家であった。

「久し振りですね、講師をしていたら顔が見えたので授業を中断してきました」と。

普通なら、私から隠れるところが、向こうから声をかけてくるとは何だこいつはと思いつつ恨めないのである。

 自称芸術家なるものは困った人種であるが、一般人ができない生き様に魅力を感じるのだろうか。

 

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 書こうとした内容の前段が長くなったので、今回は前段で終えよう。

 書こうとしていることがまとまらないと、前段が・意味のないことをダラダラ書くことになるようだ。

写真を多く掲載しまして御勘弁願います。

 

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夕陽

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