これまでの写真は、12月下旬に写した安平町の牧場。
今は雪深い牧場になっているだろう。
被災地では復興の動きも活発だが、まだまだ辛い日々が続いているよう。
雪上綱引きが行われ、ボランティアの参加もあって例年以上に参加者が多かったそう。
こんな時にお祭り騒ぎと批判する声もあるが、
今だからこそ、皆が集う行事が必要と思う。
元気な仔馬は走り回る。
元気な仔馬は跳ねる
あまり跳ねすぎて怒られる
それでも走る
見つめられている・・・また怒られそう。
でも、走る。
これまでの写真は、12月下旬に写した安平町の牧場。
今は雪深い牧場になっているだろう。
被災地では復興の動きも活発だが、まだまだ辛い日々が続いているよう。
雪上綱引きが行われ、ボランティアの参加もあって例年以上に参加者が多かったそう。
こんな時にお祭り騒ぎと批判する声もあるが、
今だからこそ、皆が集う行事が必要と思う。
元気な仔馬は走り回る。
元気な仔馬は跳ねる
あまり跳ねすぎて怒られる
それでも走る
見つめられている・・・また怒られそう。
でも、走る。
馬の写真だけと批判されそうなので、今回は馬には関係ないですが、正月の『福引』の話を少しまじえて。
紙でできている『三角くじ』は、1等賞、2等賞・・・
はずれ、と印刷されて売っている。
当たりくじの枚数を決めて、四角い紙を手作業で半分
(三角)に折り糊付けをする。
子供のじゃれ合いはお遊び
『当たりくじ』は慎重に、最初に折るから綺麗な三角になる。
『はずれ』は、綺麗に折る意識が弱く、中盤からは惰性でつくるから雑になる。
だから、綺麗な三角が当たりくじの可能性が高い。
ただし、完成品を使っている場合は通用しない。
これが馬のハグ?
福引期間が複数日ある場合は、三角くじもガラポンも『当たり』の全てを初日には入れないで、調整しながら入れるのが一般的。
抽選箱やガラポン抽選器の中に、すべてが入りきれないし、くじの絶対数が確定できないからである。
だが終盤に近付いても当たりくじが大量に残っているときはあせるものだ。
体力余っている馬はケンカ状態。
お札を使った現金つかみ取り。
札をぐちゃぐちゃにしてあることに違和感をもつ人もいるだろう。
その理由は、お札をそのままにしてあると、手でなぞると束になって全てを取り出せるから、その対策だ。
札をぐちゃぐちゃにしないで、別の紙にしたらとの考えもあるが、
札を使わないと、現金つかみ取りでは無いとの苦情が起きる。
だから札をぐちゃぐちゃにし、押し付けにくくするために底をまるくし、時間制限をする。
今度は噛み合いをしている。
100円札が発行中止になる年、思い出作りもあって、我が商工会でもやろうと私が発案した。
(田舎で1,000円札は無理だから)
(札束の帯封の継ぎ目には銀行印が押してあるが、日銀から取り寄せた帯封は個人名の三文判が押してあるだけだった。
銀行員の話だと、日銀は銀行印を押さず、そのお金を扱った担当者の印を押すそうだ。
もしかして、今はシャチハタやスタンプであったりして??)
親子連れに現金つかみ取りが当たると、小学低学年以下であれば親子それぞれにやらせてあげた。
大人で60枚以上は滅多にない、まして子供は数枚つかんで喜んでいる。
遠い昔の思い出話。
自治区の新年総会も終わり、
友人の子と孫たちを含め、予定の来客もほぼ終わり、
その間の写真整理はまだ2,3日かかりそう。
火曜日からはそれほど重要でもない各種会議をこなしていると、1月が終わる。
馬が食べて、走って、じゃれ合って1日を過ごすと同じようなサイクル。
今日のブログ内容も、何の意味も無い馬の写真だけ。
自由気ままな馬たちを見ると、心が癒され幸せを感じる。
安平町の牧場からの連載。
カメキチさんの要望もあって、
写真に言葉(解説)を入れて見ましたので文書は省略。
しばらくの間、牧場の馬の写真が続きます。
安平町にある牧場で、まだ雪が少ない12月に写した写真です。
今日の写真は落ち着いた馬の姿。
(昔の思い出)
手でピントを合わせるカメラの時代、
牧柵の中に入って自由に写して良いと言われ、
喜んで中で写そうとしたが、とても写せる状況に無かった。
馬は人がいると寄ってくる。
丁度いい距離だと、ピントを合わせようとしているうちに歩幅が広いから、すぐに目の前にいる。
慣れてくると、頭を甘噛みされるし、カメラをなめられる。
馬は早く走っていても、目的地点で急に止まれる。
下の写真のように、蹴り上げた雪がまだ舞い上がっているのに、馬は静止している。
被害があった地域で、従業員の方々の熱意で、馬たちは元気に暮らしています。
以下、馬の普段の写真をご覧ください。
飽きずにあと4枚お付き合いを。
町内会での発案で、1999年最後の日にアイスキャンドルを灯した。
除夜の鐘突きに、神社の初詣にと、我が町内を通る人が多いことを意識してのこと。
あれから19年、互いに歳を取り、近年は年末の暖冬もあって、設置数は当時の半数以下に減った。
空洞を作るための鉄柱や重しを入れたペットボトルをバケツの中心に置き、水を入れて外に置くだけのこと。
(ロウソクの下に赤く見えるのは、熱でロウソクが雪の中に沈まないようにあてた厚紙)
氷が出来れば、温水をかけて取り出し雪中で保管する。
単純な作業であるが、説明すれば長くなる苦労もある。
継続している事業を止める決断は難しい。
渋々協力しながらも、止めると言えない雰囲気もある。
組織の長は、お前の時に止めたと言われたくない思い。
行政でも、物事の廃止は難しい。
担当議員は、廃止すべきと思っていても「自分が担当の時はやめないでほしい」と言うのが常。
(造花などを入れて凍らせた)
キャンドル作りに、みんなが苦労していることは分かっているので、
平成最後の年を区切りとして、会の事業としては止めようかと、役員会で代表の私が提案した。
ところが、平均年齢80歳近いメンバーは続けると言う。
(寺で使用済みのロウソクを溶かし、プリン容器を利用して再生)
そんなことで、これからも続けることになった。
アイスにこだわらず、雪やペットボトルなどを活用して、出来る範囲でやることを強調し会の広報で啓もう。
結果、工夫されたキャンドルが多かった。
(ペットボトル)
(菓子容器に模様を入れて)
協力できない人を批判する者はいない。
だが、協力できないで申し訳ないと、一人思い悩むことがないように配慮する必要があるが、
内にしめる悩みを知ってあげるのは難しい。
(雪山を掘って)
雪が黄色く見えるのはオレンジ色の街路灯の近く。
雪が黒く見えるのは暗闇と、街路灯が明るすぎてキャンドルが飛んでしまうので意識的に暗くしたため。
技術の未熟さではあるが、手がカジカム(凍りつく)中での撮影に、哀れみと大目で見てください ネ ネ。
(色が変化する電気を雪玉で囲む)
除夜の鐘の写真から
皆様の新年ブログを拝見するに、それなりに穏やかな正月であるようで何よりです。
表題をあえて「新春のお慶びを申し上げます」としたが、この言葉はこれまで使ったことは無い。
雪に覆われて暮らす者にとって「春」とはどうしても言葉に出せない。
「新春」がそんな単純な意味ではないことは大よそ知っているが、実際に感じ体験できなければ、知っている言葉もつかえないものだ。
ちょっとそんなことを思っただけ~。
我が家の近くにあるお寺は、昼12時から除夜の鐘を鳴らす。
「除夜の鐘」「鳴らす」の言葉遣いは別として、前年に続き2年目。
深夜の鐘の音がうるさいとの苦情があるわけでなく、単純に参加者を増やすため。
なんと子供が多いことか。
ほとんどは実家で正月を迎える子と孫たち。
ちなみに、田舎のおもちゃ屋さんが一番売れる時期は、クリスマスよりもお盆と正月が、比較にならないほど売れるそうだ。
高価なおもちゃは、おじいちゃん・おばあちゃんに買ってもらうと子供は理解している。
(外人も4人いた)
日中でも寒いので、そばに懐かしい『ルンペンストーブ』が置いてあった。
石炭をいっぱいに詰めて、上から火をつける。
下まで火が回ると、石炭はコークス(炭?)のようになって、今度は下から上に燃え上がり燃え尽きる。
使い終えたストーブは、石炭をいっぱいに詰めた別のストーブに取替ての繰り返し。
どちらかのストーブが、ストーブとしての仕事をしていない、すなわちルンペンの状態から、ルンペンストーブという。
よそのお寺の除夜の鐘が鳴っているとき、
この寺の鐘は闇の中。
年寄りには写真で化粧を、子供たちには飾りを付けを終えた写真をプレゼントする。