10日ぶりのブログ発信となってしまった。
気温が下がってきたが紅葉はまだのよう。
事務処理・雑用に追われ、腰痛になってしまった。
最近は写真も撮っていないので今回は9月の写真。
『コロナ禍(か)」と言う言葉は、
コロナウイルスが招いた危機的状況や、社会・経済・政治的混乱、不安、損失などの総称した言い方として、
4月頃から新聞などで表現されるようになったそうだ。
『禍』は人為的に防ぐことが可能なものを示し、
『災』は防ぎようのない天災を意味するようだが、
『人災』が通常使われているなどを考慮すれば、
禍も災も気にすることも無いのだろうが・・・。
『コロナ禍』はコロナ関連のすべてを表現する言葉だそうであるから、
通常の文書で『コロナ禍』を使用するのは便利のようだ。
一方、「コロナの複雑さや深刻さが丁寧にことばを尽くして語られることなく、コロナ禍の一言で済まされてしまうという恐れがある」との指摘は、私も気になるところ。
自家用車が普及した1970年代には交通事故が多発して、マスコミなどは『自動車事故』などと表現していたが、
後に国の表現にならい『輪禍(りんか)』と変更した。
『輪禍』の表現を止め『交通事故』など、国民がわかる表現にすべきとの、指摘もそれなりの立場の方々から多数あったが、
『交通事故』は乗り物全てが対象になるなどの理由で、国は譲らなかった。
確かに、広義の交通事故には、鉄道交通事故・海上交通事故・航空交通事故・道路交通事故が含まれるが、
『道路交通事故』とは表現したくなかったのだろう。
『輪禍』と表現すべきでないとの批判は、
道路や歩道・信号などの交通環境整備の問題を棚に上げ、
事故原因は車にあるとすることを問題視するものであった。
(辞典によると、輪禍とは「自動車や電車などにひかれたり、はねられたりする災難」とのこと)
庭の木にキジバトの巣があるとの知らせがあったが対応できず。
数日後、早くしないと飛び立ちそうだとの知らせ。
キジバトのヒナから巣立ちまで約半月とのことを後に知った。
その後、交通環境整備が一定程度進むと、
『輪禍』の言葉は、マスコミから消えて、
『交通事故』と表現されるようになった。
アップにすると、わずかに白い産毛が残っている。
行政があえて難しい言葉や、横文字を使う時、
それなりの意図がある。
『コロナ禍』と言う表現が、
政策の弁解や逃げに利用されるように思えてしまう。
次回も発信が遅れそう。