前々回と同じ川の白鳥。
個々の表情が表れているだろうと思う写真をアップで。
ほとんど真上から写したので、
茶色い水の色がまともに出てしまっているが、
見方によっては水の僅かな動きが感じられるかも。
以下写真だけを見ていただこうと思っていたのだが。
白鳥が羽を休めていたわずかの期間に、
いろいろなことがあった。
親友の見舞いに行って、
冗談を言いたら笑っていたが、
10日前よりも体力が劣っていたことは感じた。
久しぶりに明るい雰囲気になったと、
奥さんがご丁寧にお礼に来てくれた。
そして、
見舞い行った3日後に亡くなった。
糖尿病だった彼は、
12年程前に腎臓が機能しなくなり透析となった。
糖尿からの透析は、節制しなければ
10年の命(統計数値)であることを彼は知っていた。
糖尿はそもそも過食。
透析になると、一般的食事よりも量・質とも抑えられるから大変だ。
透析後の数年間は生活面でも節制され、まさに優等生。
保健指導の講師にならないかと冗談を言っていたほどだった。
そのうちに、透析生活に疲れたと言い始めたことから、
週3回定期に仲間が集まることになった。
透析に送り出す(励ます)会。
ほぼ10年飽きずに続いたこの会は、
国政から三面記事までの雑談や昔話で、
励ます言葉はほとんど無かった。
高齢者が足腰を骨折すると元の生活に戻れなかったり、老化が急激に進む事例を見てきたが、
12月に足を骨折した彼が、そのようになるとは想像もしていなかった。
建設会社の社長の彼は、数年前に社長の席を退き会長となった。
だが、付合いのある多くの者は、申し合わせしたわけでもなく、
その後も社長と呼び続けてきた。
彼を社長と呼んでいたのは、会社の社長ではなく
皆の心の中で、地域の社長として位置づけられていたのだろうと思う。
確かに住民の指導者だった。
奥さんも、ママさんと呼ばれていた。