お盆を終えて・・・小さな小さな花とともに

 田舎のおもちゃ屋は、お盆の売り上げがクリスマスよりも数倍売れる。

他の商店も同様に忙しいほど、墓参りで人は田舎に戻っている。

だが、花も飾られないままお盆を終える墓も目立つこの頃。

 

 今回は、踏みつけられる名も知らない小さな花とともに。

f:id:isourounomitu:20170818003725j:plain

 

 私が子供の頃は、学校の廊下で盆踊りを教え、お盆には先生が先頭になって踊ったものだが、宗教行事とのことで、それは無くなった。

 その後、盆踊りは下火となり、農協に協賛を持ちかけると、「お盆だからお寺に頼め」と言われ、「盆歌では豊年を祈っているのだから、農協は関係すべき」と説明し、了承を得たが協賛は10年も続かなかった。

担当が変わると考えも変わることで仕方がないことなのだろう。

 

f:id:isourounomitu:20170818003804j:plain

 

 盆踊りには多くの子供たちが集まるが、輪の中で踊る子は少ない。

 参加賞を良くし、ビンゴゲームをし・・・担当者はいろいろ工夫するのだが、やり終えた満足感とむなしさとを感じるのだ。

 そんなこんなで、盆踊りを止めようかとの論議はこれまで何度も起きている。

 

f:id:isourounomitu:20170818003901j:plain

  

 立場上、久しぶりに盆踊りの手伝いを2日間行った。

それ程の仕事量ではないが、気疲れと言うものか己の老いを感じてしまう。

 数件出る出店は皆知り合いだから、挨拶代わりにそれぞれにお金を落とさなければならない。

 親しくしている子供を見つけては買い物をするのだが、最近の子供は遠慮しているのか親の教えなのか、1つを得るとそれ以上を望まない。

だから、何人もの子供に付き合ってもらうのだが、子供を探すことと出店との往復が結構疲れるものだ。

 

f:id:isourounomitu:20170818004006j:plain

 

 今年は珍しく踊りの輪が2重になる程に子供が多かった。

保育所の先生たちが例年、先頭に踊ってきたことが、ようやくその成果として出てきたのか?

 社会・生活の何らかの変化からきているものなのか?

たまたま偶然なのだろうか?

 そう言えば、今年の正月も人出が多かった。

 

f:id:isourounomitu:20170818004038j:plain

 

 300人を超えるであろう観客の中に、名前と顔が一致できる人は少ない。

 何人もの方から「お久しぶりです」「元気にやっています」「私の子供です」などと声がかかり、それなりの挨拶をするのだが、思い出せない人もいる。

 現職を離れ8年も過ぎれば、女学生だった子は化粧をし、淑女は結婚し母の風格をそなえ成長・変化する。

私は、何も変わっていない昔のままとほざいている。

 

f:id:isourounomitu:20170818004111j:plain

f:id:isourounomitu:20170818004138j:plain

 

カワラヒワ  

f:id:isourounomitu:20170818004316j:plain

f:id:isourounomitu:20170818004336j:plain