祭りだ、祭りだ、神輿でワッショイ、ワッショイ。

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 秋祭りは、秋の収穫を神に供えて感謝する祭りで、

・・・・あとはわからない。

 神社の主な祭礼には、案内状が来るが参列したことは無い。

 

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 (準備-ある私有地が、神輿の事実上の始まり)

 

 私には信仰心も無く、家に神棚も無い。

 年末にお札を持ってくるのでお金を包むし、神輿などにもお金を包むが、それを玉串料と言うのかなんだかわからない。

 

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  (神輿仲間-全道各地から集まる)

 

 秋祭りには各地区で駐輦所(ちゅうれんじょ-神主がお祓いをする場所)を設置するが、参拝に来る住人は年々減っている。

 お金玉串料?)もかかるので、誘うことも気が引ける。

 

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 (草鞋-わらじも増えてきた)

 

 田舎では、神社維持費を町内会費の中からまとめて納める所が多いようだ。

 我が地区では、多くの人が神社維持費を納めているが、

宗教として別組織、別会計にしている。

 

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 (後姿が良い。顔はもっと良い。) 

 

 面倒ではあるが、これらの意識の積み重ねが政教分離、思想・宗教の自由の基礎になると思う。

 少数派の想いを、無意識のうちに多数の中に封じ込めることは、社会生活であるように思う。

 

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  (寒空に素足で)

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 北海道でも出身地ごとに構成された農家地区にそれぞれの神社があるから、寺より神社の方が多いことが理解できる。

 だが多くは神主が不在で、祭りの時だけ神主が駆けつけている。

 

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 (神社の階段を登る)

 

 私が子供の頃は、農家地区の若者が奴さんにふんして大名行列のようにし、他市町から集まった神主は馬に乗って行進した。

 神輿も整然と行進していた。

 

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  二階から見ると全体がよく見られるのだが、

神様を上から見ると罰が当たると言われるので、カーテンのすき間から見ていた。

 

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 (女性が中心になって)

  神主の行列が、神輿がトラックの荷台に乗るようになってから、秋祭りは出店を意味するようになったような気がする。

 そんな寂しい秋まつりがしばらく続き、

我が町でも神輿を担ぐ組織を作りたいと若者が言い出した。

 

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  我々仲間もそれなりの援助をした。

 前回のブログで取り上げた、透析をしている彼は多額の寄付をした。

 そして毎年それなりに協力している。

 

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 (飲み物・軽食が無料で提供される)

 

  そんなこともあって、彼の事務所前が、遠くから来た担ぎ手達の景気付けの場、休憩の場となり、事実上の始まりとなる。

 例年私はその準備を手伝い、写真を撮っている。

 

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 (全道各地から集まった神輿仲間が、彼の事務所前で本番前の懇談。)

 

 餅をまき終えると、駅広場へ、神社へと進む。

 

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 * 神社や街場の写真が前半にに来ているてん、ご了承願います。