小さな花と、ふと思ったことをつらつらと。
花の写真を撮ろうとすると風の強さを感じる。
そよ風でも花は大きく揺れる。
強い風であっても必ず瞬間的に無風の状況が起きる。
その時を待って、中腰で花にピントを合わせ続ける。
シャッターを押せたとき、ホッとすると同時に腰の重みを感じる。
こんな行為を、若い頃はバカでないかと思っていた。
今でもそう思うのであるが。
たっぷり時はあるのに、何も無理しないで良い状態で事を起こせばと思う。
だが、良い状態でもやる気が起きなければ時は過ぎる。
やろうとする気が起きた時にしなければ、また時は過ぎる。
時が過ぎたからとて、何か問題が起きるわけでもないのだが。
必然性・必要性を重く感じることでなければ、その行為は無くてもいいこと。
ただの自己満足。
事を・行為を人に説明しても・・・「だから、何なの」と思われ、聞き流されて終わる。
内容の知らない人から、とやかく聞かれるよりはましなのだが。
趣味とはそんなもの。
日常生活の多くもそんなもの。
あいさつ代わりに訪ねられて、その気になって熱弁しても、相手は聞き流すだけ。
しゃべらせてもらえたことで満足すればそれで良い。
それ以上を求めずに。
自己満足で良い、それで良しと思えればそれで良い。
これを超えて、それぞれ立場が違うことを忘れて、必要以上に説明をしたり、どうでもいいような質問をされたりすると些細なもめごとが起きる。
当事者は真剣に思い語り合っているつもりだが、第三者はアホらしく思っているかもしれない。
まあ、それも充実した時間と思えば良いのだろう。