7クラス350人ほどいた卒業生、住所不明者と逝去者を除く277名に案内状を発送した。
発送は年々減ってきて、今回も15通が不在で戻ってきたが、86名から出席の返信が届いた。
返信期限も過ぎても返信無しが43人もいる。
返信の出し忘れや同期会を無視する者もあるだろうが、出せない心境や対応できない環境にある人もいるのだろう。
皆が喜ぶだろう大きなイベントのその陰で、悲しみや苦痛もおきている。それが一時の心情であろうが、僅かな人数であろうが。
返信には、参加できる喜び、参加できないが懐かしい声、発起人に対する感謝の気持ち、近況報告などのメッセージがついている。
多数の意義・希望のために、少数の犠牲(我慢)をもたらしているのだが、少数の犠牲を開放するために、多数の希望を抹殺することもできない。
そんなことをふと考え、しばし悩み、そして何の対処も出来ずに疲れる。
「50年ぶりの出席で少々気後れしていますが、宜しくお願い致します。正直かなり迷いましたが、札幌開催ということで思い切って見ました」
このメッセージを読んで私の手が止まった。
第三者には理解しがたいかもしれないが、まじめな人に多い真剣な悩み。
一度離れてしまった者が、元の集団に入るときの悩む気持ち。
『札幌開催』をキッカケとして悩みを自分で解決したのだろう。
これまで何度も何度も悩んだのだろう。
物事を進める場合、多数派や主導権を持っている者が、いかに声をかけるか、手を差し伸べるか、キッカケづくりをするかが重要なのだが、なかなかできないものだ。
同期会の日も近づき、会場の席決め、部屋割、しおり、プロジェクター用画像作りなどは順調に進んでいる。
詰まったら当事者に希望や意見を聞いて、取り入れればよいだけのこと。
淡々と作業を進めれば終えることができる慣れた仕事。
プロジェクター用画像の一部
(始まりの画像)
( 恩師からの近況報告(長文)の一部)
(最後の画像)