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死に対する意識

私が愛読する森女史のブログ。

医者が見放した母親が元気に過ごしているという。

「可能性の追求」とい表現では失礼にあたる。それ以上のもの。

 

論点が変わるが、死についての意識について語ろう。

「ガン」という病名が世間に広まって間もなく、

「ガン」である告知をすべきか否かが論議された。

「告知すべき」とするガン治療の権威者自らがガンになった。

教え子が「先生はガンになりました」と教えのままに言った。

死に際に教授はその教え子を呼び「告知すべきではないと」と言った。

その学者でも恐れる「死の宣告」。

私の福祉活動の始まりは、キンジストロフィーであった。

福祉運動をしていた三兄弟もデシャンヌ型のキンジスで、

20歳ごろ(あと数年)までは生きられないことを自覚していた。

結果は死を意識しながらもそれ以上に生き続け「死と生」を語り、

「病院は生活の場」「死に向かい合う看護」など今の医療・福祉の先駆けとなった。

特に長生きした三男のTが言った。

運動で旅行をするとき風邪をひいて、旅行をすべきか、中止すべきかの判断。

「行ける(生きている)内に行こう」「風は命取りになるから中止しよう」

彼は言った「少しでも長く生きる事を考えたい」と。

いつも死を覚悟しながらのTは行動力があり、多くの協力者に恵まれた。

何度も死に直面した三笠宮寛仁親王も協力者であった。

3兄弟が運動して出来た仙台の「西多賀療養所」の記念式典に駆けつけ私も挨拶した。

その後トイレに入り、後から来た三笠宮寛仁親王とトイレで懇談した。

親王もTとも直接の懇談はこれが最後であった。

親王もTも死を意識されながら意義ある、己が満足する行動をして、

生き続け歴史をつくった。

いろいろな組織に関わっている私もそろそろ整理すべきと考えている。

Tが亡くなってこの組織から手を引こうと思ったが、

今もわずかながらの寄付をしている。

彼らの歴史は続いているのだから。

 

写真は当時(24歳)の私・・・これが私だと言っても誰も私とは思わない。

      未明、酔っぱらった状態で写真を載せてしまった。

      先ほど起こされた頭がボーとしている状態で写真を削除した。

      両方ともまともではないが、掲載しないほうが無難であろう。

 

甥っ子の子

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白鳥とマガンの最後

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