田舎のおもちゃ屋は、お盆の売り上げがクリスマスよりも数倍売れる。
他の商店も同様に忙しいほど、墓参りで人は田舎に戻っている。
だが、花も飾られないままお盆を終える墓も目立つこの頃。
今回は、踏みつけられる名も知らない小さな花とともに。
私が子供の頃は、学校の廊下で盆踊りを教え、お盆には先生が先頭になって踊ったものだが、宗教行事とのことで、それは無くなった。
その後、盆踊りは下火となり、農協に協賛を持ちかけると、「お盆だからお寺に頼め」と言われ、「盆歌では豊年を祈っているのだから、農協は関係すべき」と説明し、了承を得たが協賛は10年も続かなかった。
担当が変わると考えも変わることで仕方がないことなのだろう。
盆踊りには多くの子供たちが集まるが、輪の中で踊る子は少ない。
参加賞を良くし、ビンゴゲームをし・・・担当者はいろいろ工夫するのだが、やり終えた満足感とむなしさとを感じるのだ。
そんなこんなで、盆踊りを止めようかとの論議はこれまで何度も起きている。
立場上、久しぶりに盆踊りの手伝いを2日間行った。
それ程の仕事量ではないが、気疲れと言うものか己の老いを感じてしまう。
数件出る出店は皆知り合いだから、挨拶代わりにそれぞれにお金を落とさなければならない。
親しくしている子供を見つけては買い物をするのだが、最近の子供は遠慮しているのか親の教えなのか、1つを得るとそれ以上を望まない。
だから、何人もの子供に付き合ってもらうのだが、子供を探すことと出店との往復が結構疲れるものだ。
今年は珍しく踊りの輪が2重になる程に子供が多かった。
保育所の先生たちが例年、先頭に踊ってきたことが、ようやくその成果として出てきたのか?
社会・生活の何らかの変化からきているものなのか?
たまたま偶然なのだろうか?
そう言えば、今年の正月も人出が多かった。
300人を超えるであろう観客の中に、名前と顔が一致できる人は少ない。
何人もの方から「お久しぶりです」「元気にやっています」「私の子供です」などと声がかかり、それなりの挨拶をするのだが、思い出せない人もいる。
現職を離れ8年も過ぎれば、女学生だった子は化粧をし、淑女は結婚し母の風格をそなえ成長・変化する。
私は、何も変わっていない昔のままとほざいている。
カワラヒワ