先日数か所で起きた山火事のニュースに見入ってしまった。
何もできないのではあるけれど無視もできない心境。
乾燥して強風の時は火の取り扱いに注意することは当然であり、屋外での火の使用は絶対してはいけない。
と言うが、その意味を真に理解している人は少ないと思う。
ソメイヨシノが咲きました。 八重桜はまだです。
乾燥注意報が出ている強風の日、友人がゴミを燃やしていた。
(現在、野火は禁止されている)
私が注意すると、大丈夫だと言う。
確かに周り一面は草で、木や物置まで10メートル以上あるので、火の粉が上がっても消えるだろうと思い、火を見ながら雑談をしていた。
物置に向かって火が線のように走った。
草が風でなびいている昼間なので、目の錯覚のようなおぼろげに映る炎の流れだった。
そして数秒の内に、物置直前の草が炎を上げた。
物置の周りは砂利が引いてあったのでそこで止まったが、一瞬体が震える思いだった。
ソメイヨシノと思うのですが?
一般的に、火はそれ相応の熱で徐々に燃え移ることだけを理解していたから、火が広がりそうになった時に対処できれば大丈夫と思い込んでいた。
だが「火が草をなめる」ことの意味(状況)を理解していなかった。
あの時確かに、火は草をなめるように光って走った。
なすすべもない一瞬の間、考えたことは何をするかではなく、どう弁解するかであった。
(交通事故を起こしてしまった人もそう思うのだろうか?)
燃えた草を見ると、草の先だけが燃えていた。
木炭の火種は水では消えないから酸素を遮断する等、火に関する知識を持っていたつもりだったから、ショックは大きかった。
サクランボのはずなんですが
『大丈夫』の判断は己の知識からの判断で、他の知識からすると大丈夫ではない事を知った大きな出来事であった。
数年後ゴミ捨て場が火事になって、自然発火だろうとのことで終わったが、その後2回もゴミ捨て場が燃えた。
自然発火がそんなに起きるはずが無いと調べたら、管理人が紙類を燃やしており、それが徐々に地中に潜り広がって数日後に火事になったものと断定された。
炎は上に上がるが、熱は下にも伝わることを意識していなかった。
野火の時に、火の恐ろしさを認識したつもりだったが、まだまだ未熟な知識だったと反省した。
フキノトウと??
その様な経験を幾度かすると、「これは絶対・・・」と断言的な表現はあまり出来なくなった。
その頃から私は、物事に対する疑念の目、確認をする意識を持つよう心掛けている・・・あくまで意識であり、日常生活ではなかなかその実践は難しいのだが。
簡単なことを例にあげると「水洗トイレでは水に溶けるトイレットペーパーを使うこと」と言うが、「溶ける」とはどのような事か?
ティッシュペーパーとトイレットペーパーを水に浸し、比べてみたら「溶ける」という意味と状況を知ることができた。
同時にペーパーにより溶け方の違いが大きいことも知った。
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名前わかれば教えてください。